工学部100年の軌跡

地元の熱意から生まれて世界へ

群馬大学工学部の100年にわたる歴史を語る上で、地元の桐生市をはじめ国内外の皆様による多大な御支援・御協力があって、今日に至っていることは周知の事実である。
 桐生周辺の発展に合わせて、工学部の前身校が立ち上がるまでの一端を紹介しながら、工学部100年の軌跡を概観する。

- 時代の変遷による技術革新への対応 -

桐生周辺の地域は、古くから養蚕の盛んな土地で、その発展とともに絹の紬(つむぎ)や平絹(ひらきぬ)などが作られてきた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃には、桐生領54か村で約2千台の織機を動員し、徳川方に旗絹(はたきぬ)2,410疋(ひき)が献上され、家康の軍旗が作られた。慶長11年(1606年)には、桐生市の前身「桐生新町」の町割ができてから、産地としてのまとまりもできた。

江戸中期以降の桐生新町は、水車を原動力とする撚糸機の導入による人手不足の解消や、西陣からの新技術導入により生産性が一段と向上し、東日本の絹織物の生産・流通の拠点となった。しかし、自前の技術開発や、海外からの新技術を採り入れても、安定した発展を図るには、技術者の育成が鍵となり、既存の県立織物学校の技術者教育だけでは十分とはいえない状況となってきた。こうして、同町周辺では、工業専門学校の設置が必要との機運が盛り上がってきて,この実現に向けて、明治37年(1904年)に発足した地元有志による桐生織物研究会が運動の中心となって設置活動が始まった。

- 100年前の「誕生」 -

明治43年(1910年)1月の帝国議会で、ようやく工業専門学校設置建議案が承認されるが、その後も土地や資金を巡る問題や前述の県立織物学校の廃止の問題など、設置までの道のりは容易ではなかった。(このことについては、これまでに発刊の創立記念誌に詳述されているので、これらを参照いただきたい。)

こうした紆余曲折を経て、大正4年(1915年)12月27日に官制8番目の高等工業学校として「桐生高等染織学校」が設置され、翌年5月4日から、第1期生である色染科15人、紡織科24人の教育が始まった。桐生高等染織学校の設置は、地元の熱望と支援によっての誕生であった。

- 大学設置までの変遷 -

学校設置直後から、色染といっても応用化学が重要、紡織といっても機械が必要と、学科増強の希望が強く、4年後の大正9年(1920年)に応用化学科が新設された。 これを機に、校名も「桐生高等工業学校」となり、時代の進展とともに昭和4年 (1929年)に機械科が、同14年(1939年)に電気科が新設された。その後、時代は次第に戦時色を帯び、国力増強の時流に乗り更に学科の新設があり、昭和15年(1940年)に創立25周年を迎え、着実な発展を遂げながら、同19年(1944年)には「桐生工業専門学校」と校名を変えた。

昭和22年(1947年)に、新しい教育基本法、学校教育法が制定され、これに伴う国立学校設置法の施行に基づいて、昭和24年(1949年)に新制の群馬大学が設置された。こうして、創立29年目に「群馬大学工学部」(以下「工学部」という。)としての新しい道を進むことになった。

- ホップ:基礎整備の30余年 -

大学昇格後から昭和55年(1980年)までの30余年の間には、工業短期大学部が併設された後、途中に昭和39年(1964年)の大学院工学研究科修士課程の設置を挟んで、合成化学、化学工学、建設工学、情報工学などの諸学科が増設され、全体として11学科となり飛躍の基礎が整備できた。この間、教員の研究活動も格段に強化され、国内はもちろん世界的にも研究業績が高く評価されるようになってきた。

- ステップ:大改革の博士課程設置 -

大学としての基礎整備ができた平成元年(1989年)には、長年の目標であった大学院工学研究科博士課程の設置をみた。同時に、工学部の組織を7学科に大幅に改組・再編し、工業短期大学部を廃止して工学部夜間主コースを設置するなど、研究・教育拠点としての体制を大幅に整備し直した。

- ジャンプ:法人化から大学院の部局化へ -

博士課程設置後15年を経過した平成16年(2004年)には、国立大学を法人化する大きな変革が実施された。これにより「国立大学法人群馬大学」となり、大学は自主・自律の精神の下に、教育・研究・地域貢献を法人運営の三本柱として、新たな展開を図ることが課題となった。

工学部も、これまでの路線を更に強化して、平成19年(2007年)に学部中心の大学から、大学院中心の大学へと変貌することになった。組織についても、博士後期課程を1専攻に集約するなど全面的に改組・再編し、教育・研究の進展と地域貢献に配慮して太田に新キャンパスを設置した。

新生の工学部は、次の3項目の目標を掲げて、更なる発展を目指している。
 1)世界をリードする独創的研究拠点の形成
 2)先端的な科学・技術を担い国際的に活躍できる人材の育成
 3)地域連携、産学官連携、国際交流に基づく社会的貢献

- 更なる高みを目指して:工学部から理工学部へ -

平成25年(2013年)4月には、工学部は改組・再編により理工学部に変わった。細分化された学問分野を統合し、新たなイノベーションをもたらす学問領域の創生が必要不可欠であったが、今回の改組・再編では、その核となる「工学」と「理学」を融合した、これまでに例のない新しい「理工学」学問分野を創り、新たに設置する分野統合型の5学科において、グローバルな舞台で活躍できる先進的なリーダーを育成することを目指す。

- 25人から4万人へ -

創立時の高等染織学校の第1期卒業生の数は、色染科11人、紡織科14人の計25人であった。そこから、戦前の高工、工専、併設専修学校、戦後の大学学部、併設短大、大学院部局化と発展してきて、卒業生の数は実に4万人を超え、産業界、教育・研究分野など各界に有為な人材を輩出してきた。

工学部は、地元の熱望と支援により設置されてからほぼ1世紀を迎え、大きく変貌した世界情勢の中で、社会の期待を背負いながら、ますますの発展が期待されている。科学技術の進展によって、世界有数の経済大国となった我が国には、今後、世界をリードする知の拠点としての役割が求められている。特に、グローバルな諸課題の解決を指向した独創的な科学技術の開発は、我が国に課せられた最重要課題である。このような社会的要請に応えるためには、優れた工学的センスと国際的な視野を身に付けた人材の育成が必要不可欠となった。

大学院工学研究科(大学院理工学府)・工学部(理工学部)の教育・研究と社会貢献

- 教育・研究活動の推進 -

工学部(理工学部,大学院工学研究科及び大学院理工学府を含む。以下同じ。)においては、ケイ素、炭素等の元素特性を活かした元素科学を基軸とするサイエンスイノベーションの創出を目指している。このため、博士前期課程・同後期課程が一体となって、プロジェクト主導型の教育研究体制を推進している。

具体的には、次の3つの重点的プロジェクト研究を推進するとともに、教職員、学生等による研究会等の支援組織と連携して、平成25年度からは学科・専攻の改組・再編に合わせて、時代のニーズに対応した教育・研究活動を推進している。

○重点的に推進するプロジェクト研究領域

○研究会(五十音順)

- 地域における社会貢献 -

工学部は、平成21年(2009年)6月に、共同研究イノベーションセンター(現:産学連携・共同研究イノベーションセンター)と協力して、地域の産学官関係機関が一体となった「産学官連携拠点」の認定を受けている。本拠点では、関係機関の協力の下に、研究開発から事業化まで一元化した体制を構築して、10年後を目途に、周辺地域が、環境・新エネルギー、レアメタル、医療(健康)、メカトロ・ロボット分野等の次世代型産業の研究開発及び人材育成の戦略拠点(ぐんま地域イノベーション創出クラスター)として形成されるよう努力している。

- 時代の変革に対応した人材育成 -

昨今の日本経済は、世界的な社会環境の激変による停滞傾向にあり、産学官の各界においても、国際戦略の再構築が課題となっている。工学部においては、時代の変革に的確に対応するために、今日までの教育・研究の実績を基礎として、更に教育・研究の個性化・高度化による創造性を深化し、将来の国際社会を支える人材育成に貢献したいと考えている。

そこで、工学部は、「伝統から創造へ」をキャッチフレーズに、グローバルな視点に立って、確かな科学技術に裏付けされたサイエンスイノベーション創出事業を推進し、国際的な感覚を兼ね備えた、世界で活躍できる人材育成に貢献するとともに、世界をリードする研究を展開したいと考えている。